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ドイツ旅行記

今年の世界は異常気象とのニュースが乱舞する中、10年以上に亘って住み慣れたドイツに今年は5月と6月の2回訪問する事になりました。
最初は仲間とのゴルフ旅行、それに、2回目は建築家とのドイツ建築探訪の旅。
5月はゴルフだけが目的ではなく、昔の友達を訪問する予定に加え、私の主宰するグリーンワルト財団の研修生を募集する宣伝活動の為でした。











最初に訪れたのはビースバーデン近郊の7ヘクタールのワイン畑を持つ友人の家。

トラクターにワインとソーセージを積んで、彼のワイン畑を走ります。起伏に富んだワイン畑は絶景で、360度どちらを見渡してもワインばかり、見晴らしの良い所でトラクターを止め、ワインの試飲です。南側斜面のワイン、そして、丘の上のワイン、それぞれを試飲しながら、どちらが甘いのか、こくがあるのか、香りと土壌との関係など色々なワインの知識を教えて頂きました。

やはりワインはその地で飲むのが最も美味しいと再確認させられた次第です。

近くにDOMTAL MOMMENHEIMというゴルフ場があり、18ホールで5923メーター、ヤードになおすと6480ヤード、日本のゴルフ場に比べて1割以上長いので最初はクラブと距離を合わせるのに大苦戦。しかし、360度を見渡すワイン畑の真ん中でプレーする事の醍醐味は日本では味わえない爽快感そのものでした。

デッケンドルフの街並み

通常、5月と6月のドイツは天候が良いはずですが、今年の5月は雨の連続で予定していたもう一つのゴルフ場・BACHGRUNDでのプレーはお流れ!!
このままでは雨が続きゴルフができない窮地に陥り、急遽、天気が良いであろう次の目的地デッケンドルフまでアウトバーンを時速200キロで駆け抜けました。

途中、何度も雨にみまわれ、ゴルフは諦めの境地にありましたが、目的地デッケンドルフは晴れ、到着直ちにDEGGENDORFER GOLF CLUBで待望のプレー!!
私達を迎えてくれた私の元秘書の歓待を受け、ドイツと日本と地球の裏側に住んでいても24年前に一緒に過ごした思い出は、お互いの心の中に残るものだと温かい思いに包まれました。

3日後にまた、雨模様のアウトバーンをミュンヘンに向かい、最後の目的地グリーンワルト(GRÜNWALD)に到着です。

ノイジードル・グリーンワルト市長訪問  (Buergermeister Neusiedle)

グリーンワルトではゴルフの他にグリーンワルト市の市長との面会や、友人宅を訪問し、グリーンワルト財団の研修生募集活動の協力を得る仕事がありました。
グリーンワルト財団は世界の若人に日本滞在の機会を提供し、日本の文化、歴史、言葉などの理解を深め、広い視野の構築と、それぞれの人生に大きな成功と将来の社会貢献を成し遂げる人材育成を目的としています。

グリーンワルトという街はドイツで最も裕福と言われる街で、人口10000人、

ドイツ語で「緑の森」と言う意味を持ち、その名の通り街中が深い緑に包まれたミュンヘン近郊の高級住宅街です。

また、私がミュンヘンに住んでいた頃、この街をたびたび訪れ、この街の持つ雰囲気を大変気に入ってしまい、この様な素晴らしい環境の街の日本にも作りたいと思い、帰国後、グリーンワルトという名前の会社を設立してしまった訳です。

日本のグリーンワルト/ドイツのグリーンワルト

お陰様でグリーンワルト市長やロータリークラブ、それに友人達の協力のお陰で来年度の研修生の募集も順調に進み、財団活動が軌道に乗るところまで参りました。

6月に再度、ドイツに向かいましたが、今度は5月と違い10日間の日程すべて快晴となり、ドイツの夏を堪能致しました。

最初の目的地はベルリンそして、ポツダムのサンスーシ宮殿を見る事でした。
サンスーシ宮殿(Schloss Sanssouci)はブランデンブルグ州の州都ポスダムにあるロココ建築の宮殿で、プロイセン王国のフリードリッヒ2世が1745年に建築した宮殿です。この宮殿に辿り着くには広大な庭園を1時間もかけて歩きます。天気が最高で小川のせせらぎ、小鳥の鳴き声を聞きながら歩いていると、森の中に黄金の建物が突然現れました。その庭園で最も美しいチャイニーズ・ティーハウスです。外壁に金箔を
ふんだんに使用されているのには、度肝を抜かれました。その当時の中国礼賛の面影を肌で感じる事のできる建物でした。

<チャイニーズ・ティーハウス>

そして、チャイニーズ・ティーハウスからまだまだ、宮殿に向かって進まねばなりません。

宮殿に近づくにつれて、大きな風車が目に入ってきます。これは宮殿の前庭噴水を動かす為に造られたそうですが、当時の技術の高さに感嘆、宮殿内部は、豪華な金細工の部屋が次から次と出て参ります。プロイセン王国の資金力の高さに納得した次第です。

次に向かった所はドレスデン。第二次大戦中に英国軍の空襲にあって一夜にして瓦礫の街と化した街です。その街の象徴ともいえるフラウエン教会が2005年10月に再建されたので、どうしても見たくなり訪問する事にしたのです。

前回、訪れた時は教会の石材が転がっている状態でしたが、今回は立派に再建されていました。この再建には爆撃をした英国軍のパイロットの御子息が英国で寄付を募り、尖塔の十字架を寄付したとの事でした。

聖母教会(Frauenkirche)の外と中

只、街全体はゼンパーオペラハウス・ツヴィガー宮殿、など再建されていますが、建物の石材は新旧色が違うので、戦争の悲惨さに加え、ドイツの人達が再建に向けて必死に努力した思いを感ずる事ができました。
ザクセン州ではドレスデンの他にモーリッツブルグ城(Schloss Moritzburg)、ピルニッツ宮殿(Schloss Pillnitz)を訪れました。

モーリッツブルグ城はドレスデンの北西14キロにある狩猟用の城として使われていた城で遠目では美しいバロック様式の城であるが、近づくとルネサンスのだまし絵がふんだんにみられる城で少し興醒めでありました。しかし、一階左の羽根の部屋(Federzimmer)には孔雀やキジの天然羽毛を何十万枚も使って作ったタペストリーがあり驚かされました。

そして、待望のピルニッツ宮殿へと向かいましたが、ドレスデンからエルベ川沿いの国道を上りましたが、エルベ川沿いの森の中には瀟洒な家が建ち並び、この地域が過去、共産主義治世下にあったとは信じられない程の豊かさに感動を覚えた次第です。一路、ピルニッツ宮殿へと車を進めましたが、どうも川沿いの道がお祭りで通行禁止になっている様子です。仕方なく、川沿いでなく山越えの道を走りましたが、最後の所で関所につかまって

しまいました。その関所では25歳前後のお兄さんが、Sie duerfen nicht dieses Starsse

Durchfahren!!(貴方はこの道を通れません!!)と言って通してくれません。お祭りの為に、この道は通行禁止ですと言うのです。私達は旅行中なので、通り抜けられなければ旅行が続けられないと30分程通せ、通さないの押し問答が続きました。そこで、最後の手段、私はドイツ政府の偉いさんとも友達で、日本に帰国したら、この現状を報告したいと言うと、やっぱり、権威に弱いと定評のあるドイツ人、ゆっくり通行するならOKと
通してくれました。実際に走ってみると車は一切なくピルニッツ宮殿まで対向車も無く辿りつけました。

ピルニッツ宮殿に到着すると、そこは村あげてのお祭りの最中。近郊の鍛冶屋さんや、農家が森で獲った毛皮などを売っています。その中を宮殿に向かい、視野が開けたところで、その城の美しさに感激しました。

ピルニッツ宮殿はアウグスト強王からツビンガー宮殿の設計を任されたベッベルマンがバロック様式に中国趣味を入れて完成した、非常に美しいお城です。アウグスト強王が当時、熱を上げていた愛人のコーゼル伯爵夫人に贈ったと言われています。

今年の夏は日本では記録的な猛暑でしたが、ドイツに於いても5月は雨、6月は晴天、そして7月以降は長く雨が続いた天気だったそうです。しかし、自由な時間を旧友との語らいや、ドイツ建築との触れ合いに時間をゆったりと使う事ができて大変価値のある旅行となりました。