グリーンワルト財団第1回研修生報告

2011年05月03日 | 投稿者: GRUENWALD | カテゴリー: ブログ

東日本大震災により被害を受けられました皆様、そのご家族の方々に対しまして、謹んでお見舞い申し上げます。  一日も早く復旧復興されますことを心からお祈り申し上げます。

2011年1月9日から3か月間の予定でグリーンワルト財団研修生として来日しておりましたタチアナ・シュックさんは3月11日発生致しました東日本大震災及び福島原子力発電所の事故により、非常に残念ながら予定を1ヶ月短縮して帰国せざるを得なくなりました。しかし、帰国後、以下の様な滞在記を送ってくれましたので御紹介致します。

岡本幸治

理事長

グリーンワルト財団

太陽が昇る国での滞在日記

グリーンワルト・ロータリークラブから大阪のグリーンワルト財団が日本での研修生を求めているという情報が私に入ったのは2010年8月の事でした。私は丁度、撮影・編集学科の試験を終わったところで、頭の中では来年、外国で研修を積みたいと考えていました。そして、一か月ほどたった頃、私の両親が数か月を日本で滞在できる研修資料を家に持ち帰ってきて、私はその可能性にとても嬉しく思いました。私はこれまでに沢山の国を訪問し、色々な文化を見てきましたが、日本は全く違った種類の国の様に感じていました。2010年の11月に開催された選考コミッティーによる個人面談で私の思いはどんどん膨らんで行きました。そして、大阪のグリーンワルト財団・岡本理事長から正式な確認を頂いた時には、私は言いようのない喜びに包まれました。彼は私を2011年1月9日から私を受け入れて頂き、グリーンワルト財団の第1回研修生として来日できる事は大変な光栄でした。

12時間のフライトの後に関西空港にて岡本理事長が出迎えて下さった時には、私の緊張はとても高まっていました。私は心から歓迎されて日本での生活が大変気に入った訳です。最初は新しいものに対する恐れから緊張しましたが、岡本理事長と私の関係が調和の取れた関係になって、盛り沢山の経験ができる日々に変化して行きました。

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Mit meinen Gasteltern Okamoto beim Sushi essen

岡本御夫妻と寿司屋にて

岡本理事長は私に完全に独立した住まいを提供して下さいました。しかし、私はいつでも必要な時に岡本御夫妻の助けや御指導を頂き、私は日本での旅行者であるにも拘わらず、日本の家族生活を経験できた訳です。

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Zimmer in der Grünwald Stiftung

グリーンワルト財団のゲストハウス

私の最初の大きな冒険は近くのスーパーマーケットでした。私はまさに宇宙人のようなものでした。塩味のポテトチップと思って買いましたが、それは甘いお菓子でした。そこで見たものは、すべての商品が綺麗に包装されて日本語だけで書かれていて、私のほとんど無いに等しい日本語では太刀打ちできませんでした。私は酸っぱいものであろう瓶を買いましたが、それが何であったか今でもわかりません。私の最後の手段は野菜や果物でした。包装されたもの、文字のあるものは全く駄目でどうにもなりませんでした。そして、店には魚、どこにでも魚が満ち溢れていました。

私が旅行に出発する前に持っていた不安は本当に驚くほど簡単に消えてしまいました。言葉がわからないにも拘わらず、日本の皆さんはフレンドリーに、お助け精神で接して下さり、私は非常に短時間の内に素晴らしい友人を作る事ができました。岡本理事長みずから、また、若い女性の先生が非常に効果的に日本語を教えて下さり、私は数週間の内に日本語の基本的な知識や基本文字のひらがなとカタカナを理解する事ができました。

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Ausflug nach Takamatsu

高松旅行

数週間後に私は日本の生活に非常にうまく溶け込んで自分に気が付きました。そして、旅行をする気持ちが湧いてきました。岡本理事長と一緒に四国へ行って、他の日本を見たいという気持ちが大きくなってきました。私は東京に行って、そして富士山を見たいと思ったのです。数週間前から私は大阪、京都、神戸への近郊交通網は理解できていました。しかし、たった一人で東京行きの新幹線に乗って行くには心配でした。3500万人の人々が住む東京経済圏です。世界一の都市です。その都市に私はたった一人で立つのです。私の冒険心は日を追う毎に大きくなりました。岡本理事長は私が日本に来た当時、とても大人しくして、借りてきた猫の様な私が、数週間後に一人で巨大な都市東京に一人で行くのは全く信じられないとおっしゃっていました。

富士山は残念ながら雲がかかっていて見れませんでしたが、東京は輝かしい太陽でいっぱいでした。何処から始めたらいいのか?東京タワー、渋谷、秋葉原、隅田川、六本木ヒルズ….選択肢は沢山ありました。既に最初の日に私はもう一度、この都市に来ると確信

していました。大阪での経験があり、日本の鉄道システムを充分理解していましたので、東京でも私が一人で移動する事は全く問題ありませんでした。私自身もこんなに簡単に

行けるようになるとは信じられませんでした。

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Mori Tower, Tokio

森ビル

大阪に帰ってきたのは私の最後の月でした。私はまだ、フグを食べていませんでしたが最後の2週間の旅行計画を作成していました。私の両親は日本の私を訪問して、一緒に旅行をする予定でした。そして、私はそのガイドをする事になっていたのです。私は誇りを持って、大阪周辺の街々をもう一度訪れ、そして、二条城、三十三間堂、清水寺、東大寺などの沢山ある名所旧跡を再び訪れる予定でした。

私は桜の咲くのを楽しみにしており、新しくできた友人たちとの再会を楽しみにしていました。

私は本当に日本が気に入ってしまったのです。

日本の生活、人々、習慣、食事などは大変気に入り、3月27日に私の家族に紹介する事を大変心待ちにしておりました。

3月11日金曜日、17時頃、私の電話がなりました。「君は大丈夫か???」私の父が聞いていました。3月11日14時46分私の住んでいる吹田ではまだ、問題は起こっておりませんでした。3月12日土曜日私は岡本理事長と一緒に奈良に行く事になっており、そして、日曜日の夕食は岡本理事長のお宅に招待されておりました。そして、その時はまだ、その夕食会が送別会になるとは全く思いもよりませんでした。その時、ドイツの私の両親の家では福島原発の事故で一刻も早く私をドイツに帰国させなければならないと周囲の友人から忠告を受けていたのでした。その時、私達はもう少し状況を見てパニックにならずに判断しようという事になりましたが、残念ながらルフトハンザは東京への飛行機を止め、沢山の外国人が名古屋と大阪から避難する事になったのです。そして、私の両親はルフトハンザが日本への飛行を完全に停止するのではないかという恐れを抱いて、一刻も早く帰国させると判断したのでした。

私が友達との予定をキャンセルし、部屋を掃除して、準備をする残された日々は2日間しかありませんでした。私達は予定していた日本旅行をキャンセルする事がとても残念でしたが、この様な状況下、楽しい旅行などもできるわけがなかったと思います。

私にとって日本での時間は忘れられないもので、そして、素晴らしいものでした。

私は、また、日本に来ることを確信しています。

さよなら!!!日本!!



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